和晒

和晒とは

和晒業の発祥地や年代などに関する文献は残っておらず不明ですが、古老や言い伝えによると約300年前より始まったと言われております。
多くの方は晒木綿と聞くとほとんどの方が、真っ白な生地を想像されます。しかしこれは間違いです。

綿は植物なので、はじめは淡い茶褐色をしています。そしてそれを紡績工場にて糸にし、そしてサイジング工場にて出来上がった糸に糊をつけます。
そして、その糸が紡布工場にて製織され淡い茶褐色の生地が出来上がります。

ここからが弊社、和晒工場の出番です。

織りあがった生地には、綿にもともと含まれるペプチンやコットンワックス、色素、サイジングで付けられた糊、等の不純物が含まれています。それらを落とす工程が晒です。

昭和初期、弊社では五右衛門釜のような大きな釜で生地を焚いて晒し、弊社のすぐ横に流れる石津川で生地を洗いその後、近く信太山にて生地を伸ばして天日乾燥させておりました。
しかしながら、時代は進み、川は汚染され、晒を干せるような場所はなくなり、社内にて晒、水洗、乾燥まで手掛けることを余儀なくされました。

今では薬品のほとんどは昔ながらのものを使用しながら、コンピューター制御で温度、薬品量、時間を管理できる釜を使用し、シリンダー乾燥機によって和晒を行っております。

和晒とは、釜に生地を詰めて緩やかな水流で2~3日ゆっくりと時間をかけて焚きこみます。したがって生地にはきついストレスはかからず、柔らかな吸水性のよい晒が特徴です。
皆さんが着ている洋服などは世界的に主流の洋晒がほとんどです。洋晒は生地を釜で焚くのではなく、生地をローラーではさみながら薬品の入った槽の中を強制的に通していく方法ですので、見た目にきれいですが、ややペタッとした風合いに仕上がります。

そして、小巾織物で織られた和晒は日本の文化です。
日本人はタオルが無い時代は手ぬぐい、寝る時は浴衣や寝巻、紙おむつが無い時代は布おむつを使用していました。
このように和晒は日本人の生活必需品として、永く愛されてきました。